【主張】
北京五輪1年
「独裁国」開催の危険性
08年8月8日に開催式が予定されている北京オリンピックまであと一年と迫った。同大会で注視すべきは、スポーツを利用して国威を発揚し、東アジアの覇権を握ろうとする野望を抱く独裁国での開催という一点に尽きるだろう。
五輪開催という「錦の御旗」を掲げて人権侵害を繰り広げ、しかも五輪を独裁維持ばかりか周辺地域の平和を脅かすために利用する。こういう独裁国での五輪開催に何の意味があるのか、今一度問い直す必要がある。
■人民は虐げられ共産党員は太る
北京五輪の開会式まで一年となったので、メディアは北京の近況をこぞって伝えている。8月8日には天安門広場に共産党幹部が勢ぞろいし、派手な“前夜祭”も行われた。オリンピックスタジアムなど五輪会場だけでなく、五輪をテコにした建設ラッシュが続き、いかにも発展著しい近代都市を思わせる。
だが、そんな桧舞台も一皮向けば、目を覆うばかりの惨状が見えてくる。建設現場では奴隷労働を思わせる「民工」の犠牲が相次ぎ、一般市民は強制退去・弾圧の憂き目に遭っている。大気汚染は「世界最悪」で、汚濁水が臭い、「毒食」が溢れ返っている。水不足を補うため遠く河北省から導水し、その地域の農民まで犠牲を強いようとしている。
早くも他国からは「競技開催の直前に北京入りし、水は持ち込む」といった声が聞かれる。この北京五輪のスローガンが「緑の五輪」「同一個世界、同一個夢想」(一つの世界、一つの夢)というから呆れるほかない。
米国の女優でユネスコ親善大使のミア・ファローさんは北京五輪を「ジェノサイド(大虐殺)五輪」と名付け、ボイコットを呼びかけている。アフリカのスーダンで起こった「世界最悪の人道危機」とされるダンフール虐殺を中国が黙認しているからだ。米下院本会議は今春、ダンフール虐殺を黙認するのは五輪精神に反するとして中国に対する抗議決議を全会一致で採択、欧米諸国では北京五輪ボイコット運動が広がってきている。
ダンフール問題だけではない。9億人の暮らす中国農村部では大半の農民は医療を受けるにも年収の二倍を要する「看病貴」(高額医療費)で、「看病難」(病気になっても医者にいけない)で死を待つしかない。都市と農村の貧富の所得格差は5〜10倍へと広がり、衣食住の困難をきたらす「絶対的貧困層」は2千万人以上にのぼる。
都市部には1億3千万人の「民工(出稼ぎ労働者)」が、労働法をまったく無視した長時間労働の低賃金、「民工米」と呼ばれる半ば腐った米飯やくず野菜など「ブタのエサ以下」の食事、賃金の代わりに企業内チケットが渡され、ほとんど工場外にも出られない事実上の奴隷生活を強いられている。人身売買された子供までもが重労働に就かされている。宗教、言論、思想弾圧も拍車が掛かっている。
その一方で共産党一族は汚職と利権で豪勢な暮らしをし、北京五輪の派手なパフォーマンスをやっている。共産党政権は経済発展の著しい「昇竜」を世界にアピールし、それによって中国人民の自尊心をくすぐり「愛国」で団結を促す魂胆だ。一党独裁政権にとって五輪開催は叶ってもないことなのだ。
第1回のアテネ(1896年)から第28回のアテネ(2004年)までの百余年に独裁・人権抑圧国家での開催が二度あったことを思い出すべきだ。戦前のベルリン大会と戦後のモスクワ大会である。
ベルリン大会(第11回目、1936年)では独裁者ヒトラーが五輪を民族主義の高揚と攻撃精神の養成の場と位置づけ、それをテコに欧州侵略へと突き進んだ。共産主義国での初めて開催となったモスクワ大会(第22回大会、80年)ではブレジネフ書記長が「共産主義の勝利」を誇示するプロパガンダの場と位置づけ、その前年にアフガニスタンを侵略、西側諸国はボイコットした。
■五輪をテコに台湾侵略企図
このまま北京五輪が開催されれば、中国はヒトラー・ドイツ、ソ連共産国に継ぐ、三番目の独裁国開催の“栄誉”を手にすることになる。五輪精神が踏みにじられた独裁政権の下、世界平和や友好ではなく「民族」や「イデオロギー」の勝利のために大会が開催されようとした時、何が起こったのか。このことを今一度、想起すべきである。
中国の場合、五輪開催をテコに経済力をつけ、それを軍事力へと転嫁させて台湾を侵略し、東アジアにおいて一大中華共産圏の覇権を握ろうとするのは目に見えているだろう。
五輪は「健全な民主主義、平和を愛する賢明な国際主義が新しいスタジアムを包み、無私と名誉の精神をその場で育む」(ピエール・ド・クーベルタン)ためのものだ。北京五輪をお祭り気分で待っていてはならない。
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