【連載 宮本顕治と日本共産党B】
ドサクサ紛れの出獄
法的根拠は一切なし
国際勝共連合は70年代に「宮本は網走に帰れ」との思想新聞キャンペーンを展開した。78年6月、本連合が東京・立川市で宮本顕治委員長(当時)の「リンチ殺人」を追及する思想新聞号外を配布したところ、同党立川・昭島地区委員会はこれを名誉毀損として配布指し止めの仮処分を申請した。これに対して本連合は受けて立ち、ついに「日共リンチ殺人事件」の真偽は裁判所で争われることになった。
この裁判を通じて共産党は@宮本は政治犯であるAGHQ(連合軍総司令部)の10・4指令に基づいて釈放されたB12・19指令に基づく勅令730号によって復権したーと強弁したが、この3点はいずれも否定され、宮本の釈放の不法性が白日の下にさらされた。「網走に帰れ」という本連合の主張は正しかったのである。
なぜ、傷害致死、不法監禁致傷、死体遺棄など純刑事犯である宮本が「政治犯」として出獄できたのだろうか。
■刑事犯は釈放する対象外に
1945年8月15日、日本は連合国に対してポツダム宣言を受け入れ無条件降伏の止むなきに至った。同宣言10条には「日本国政府は、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。完全なる宗教および思想の自由、並びに基本的自由の尊厳は確立せらるべし」とあった。
これに基づき政府は同年10月4日、GHQは政治犯を釈放する指令を発した。いわゆる10・4指令である。共産党は同指令によって宮本が釈放されたと主張しているが、これは誤っている。指令はGHQの日本政府への覚書にすぎず、何ら法的根拠がないからである。
10・4指令を受けて司法省はGHQに対して文書で、この指令によって即時釈放されるべき政治犯の範囲の中に、傷害致死や死体遺棄、銃火法違反などを犯した者も入るのか問いただしたが、GHQは入らない(釈放すべきでない)と回答してきた。
そこで司法省刑事局は同年10月5日付号外通牒によって「治安維持法……に該る各事件…(但し以上は何れも一般刑法及び経済統制法に該当する事件を除く)によって現に身柄拘束中のものは、…検事の指揮による執行停止の方法に拠り釈放」するように全国の検察庁に命じた。
つまり、一般刑法犯は除外されており、宮本のような治安維持法違反だけでなく刑事犯である者は釈放の対象外としていたのである。
ところが、加固義也著『リンチ事件の研究』によると、10・4指令、それに基づく号外通帳が出ると新聞各紙はいっせいにこれを報じ、即時釈放が予想される政治犯の氏名を報道し、その中に宮本顕治の名前が含まれていた。これは明らかに誤報だった。ニュースソースは司法当局であり、当局がミスしたのだ。
この新聞報道を見た網走刑務所長が号外通牒との関係で宮本の処遇に迷った。そこへ弁護士と東京で拘禁されている徳田球一(後の共産党書記長)の連名で「デタラスグコイ、シュクシャノヨウイアリ」との電報が届いた。
釈放が当然と言わんばかりの電報に動揺した所長は、病気を理由に刑の執行停止の指揮がされるよう診断書を添付して検事局に上申。こうして宮本は45年10月9日に網走刑務所を出所した。つまり、刑の一時的な執行停止でしかない。
■宮本の刑期はまだ八年残る
共産党は宮本が10・4指令に基づき釈放され、それと同時に宮本の刑は消滅したと主張しているが、そうした事実は一切ない。それが証拠に宮本の釈放後の同年10月17日、宮本は勅令第580号によって無期懲役から懲役20年に減刑されているのである。刑が消滅していれば減刑などあり得ない話だ。
さらにGHQは12・19指令を発し、前記10・4指令で釈放した政治犯の資格回復を命じた。これを受け政府は「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件」と題する勅令第730号を発し、釈放した政治犯の選挙権および被選挙権の回復措置をとった。だが、同勅令も「刑法犯などこの限りにあらず」とする但し書きが明記されており、当然、宮本は適用外であった。
にもかかわらず宮本は終戦直後のドサクサ紛れに出獄した。宮本の釈放は間違いであり、したがって刑の執行停止を直ちにやめ、網走刑務所に再収監されるべきである。少なくとも懲役20年から未決留置と判決確定の服役(合わせて約12年)を差し引いた約8年間の刑期が残っているはずである。本連合が宮本に「網走に帰れ」と言ったのは中傷からではなく、このような事実関係からだ。
ところが、共産党は81年、本連合との裁判で、宮本復権の根拠とする宮本の確定判決の写しを証拠として提出した。それには判決文の末尾に「本判決ハ昭和二十年十二月二十九日公布勅令第七百三十号『政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件』第一条本文ニ依リ将来ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス」と墨筆で書き加えられている。
■誰が書いたか不明の後書き
だが、誰がいつ、どこで書き加えたのか、そうした記載がどこにもない。記されていない。東京地裁刑事事件係によると「法律が今と違っているが、少なくとも記載者の年月日とか記載の捺印が押してあるはず」としており、いかにもうさん臭いものだった。
多くの専門家も「名前もなければ、捺印もない。記された年月日もわからない。これでは、責任の所在がまったく不明なわけで、公文書としてはあり得ないこと」(飯守任重元鹿児島地方裁判長)と指摘した。
そこで本連合が追及したところ、82年に共産党は「しかるべき権限のある官吏によって作成された」と口頭で答えた。これでは回答になっていないとさらに追及すると共産党は確定判決の保管者である東京地方検察庁に照会。同庁は、写しは原本に「相違ない」としたが、いつ誰が書いたのかは無回答だった。
いずれにしても宮本の出獄は違法である。何ら法的根拠がない。ドサクサ紛れで出獄した「人殺し」がその後、政党の党首に納まり、参議院議員も務めるに至った。これを恥じない共産党は世紀のいかさま政党と言うほかあるまい。
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