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  2006-11-16 「家族の再生」で子供を守ろう

少年凶悪事件の背景 直視を

 

親子の絆や家族の崩壊を思わせる衝撃的な少年凶悪事件が連続して起こっています。その一方で親による子供の虐待死も後を絶ちません。こうした事件の続発は日本社会が根底から揺らいでいることを示すものです。家族の再生を急がねばなりません。

 

[家族崩壊で凶悪犯罪に]

06年秋、北海道稚内市で16歳の高校1年男子が同学年の友人に30万円で母親殺しを依頼して殺害、新潟市で13歳の中2男子が母親の後頭部を金属バットで殴って傷を負わせ、名古屋市で15歳の中3男子が母親をナイフで刺す事件が起こりました。06年6月には奈良県の高1男子が実家に放火、母親と弟妹が焼死させる事件が起こり日本中を驚かせましたが、この後も同じような放火事件や親を襲う事件が相次いで発生しています。

これら事件の少年の家庭を見ると、家族関係の複雑さが浮き彫りになっています。稚内の場合、少年は両親と神奈川県で住んでいましたが、4年前に両親が離婚、母親の実家がある稚内市に転居し母親と2人暮らしでした。離婚に不満を抱いており、母親を憎んでいたと言います。また、殺人を請け負った高1男子も両親が離婚し、そのうえ父親が自殺、その後、母親と暮らし始めるなど複雑な家庭環境にあったようです。

奈良県の母子放火焼死事件では、高1男子が大学の医学部に入るため、父親から成績へのプレッシャーを受けていたことが強調されていますが、小学生の時に両親が離婚したため実母と別れており、再婚家庭での悲劇だったことも注視すべきでしょう。もちろん、家族関係が複雑であっても本来は親子の絆や愛情、あるいは祖父母や兄弟などの支えによって克服していくものです。しかし、それがなかった場合、家族間の軋轢だけが子供たちに集中し、ついにはこうした悲劇に至ると考えられます。

この種の事件続発は日本社会から「家族の絆」が失われている象徴と認識すべきでしょう。このことは親子間だけではなく、その他の少年事件からもうかがい知れます。

05年の刑法犯データでは検挙少年数は減っているものの、人口1000人当たりの検挙者数は成人に比べて約6・4倍(15・9人)の高率で、しかも刑法犯数に入らない14歳未満の「触法少年」の補導者数は増加、そればかりか刑法犯少年の再犯者率もきわめて高いのです。とりわけ殺人や強盗などの凶悪犯少年では6割、暴行、傷害などの粗暴犯少年では5割、性犯罪では4割が再犯者であるという深刻な状態にあります。この原因について少年院の教官意識調査では、大半の教官が少年の保護体制の不備を指摘しています。つまり、少年たちには心を許して帰れる家庭が存在しないのです。家庭が崩壊あるいは家族の絆が薄れることで少年は凶悪事件をくり返していると言えます。

少年による親殺しや凶悪事件を防ぐ最大の砦が家庭であることは明白です。これはごく当たり前の話ですが、それを敢えて声高に叫ばなければならないのが、今の日本社会の悲しい現実です。それゆえに国民挙げて家族再生に乗り出すときです。

 

[家族の価値を問い直す]

親による子供の虐待死も後を絶ちません。秋田県の綾香ちゃん事件のように母の愛すら消えうせた光景が各地で見られるようになりました。家族の絆はどこに消えてしまったのでしょうか。日本社会の在り方が根本的に問われています。政府は少子化対策の中に国民運動の推進策として「家族の日」や「家族の週間」の制定を盛り込んでいますが、少子対策だけでなく、少年非行や教育、介護などあらゆる側面で家族の価値が見直されるべきでしょう。

多くの地方自治体はすでに「家庭の日」を設けています。これは1955(昭和30)年、戦後の社会変動の中で薄れていく家族の絆を取り戻そうと、鹿児島県鶴田町で初めて設置されたものです。それ以降、大半の都道府県、市町村で設けられ、毎月第3日曜日を「家庭の日」として関連行事に取り組んできました。これを地方自治体だけで済ませてはならないとして70年代後半、当時の大平内閣は「家庭基盤の充実」策を打ち出し、自民党内に「家庭基盤の充実に関する特別委員会」を設置、79年には「対策要綱」をまとめています。

同要綱は「家庭時代の幕開け」を強調し、「家庭の日」の祝日化や、教育や青少年、税制、社会保障、住宅など多面的な「家庭基盤充実」策が盛り込みました。「家庭の日」を通じて家庭の役割の自覚、親子三世代の対話、団欒の機会を与え、また恵まれない家庭への慰問激励に取り組むなどの施策も挙げていました。しかし、「私事の家庭に政府は介入するな」といった個人主義的批判に押され、結局、日の目を見ませんでした。

その後、わが国はバブル経済に酔い、家庭の意義よりも個人の欲望を重視するかのような経済的価値ばかりが強調され、バブル崩壊後も家庭が顧みられることはありませんでした。90年代に入って神戸少年事件など少年凶悪事件が相次ぎ、親子の絆や家族のあり方が問われるようになったものの、その一方でジェンダーフリーが密かに浸透し、男女共同参画社会の実現を掲げて“家族狩り”を始め、自治体の「家庭の日」も隅に追いやられてしまいました。

こうして少子化・少年非行化・児童虐待・家庭崩壊といった「家族消滅」現象を招いたのです。その最大の犠牲者が子供たちです。個人主義的施策から家族主義的施策へと大転換しなければなりません。クリスチャン宰相・故大平正芳氏が叫んだように「家庭時代の幕開け」を告げるべきです。

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